作成日時:2018年05月05日 19時00分07秒
更新日時:2018年05月06日 22時22分54秒
この記事は3年ほど前に投稿されました。内容が古くなっている可能性がありますので更新日時にご注意ください。
ゴールデンウィークに実質的に九州を車で一周してきました。
行程(2018年4月28日・5月3日)
2018年4月28日
5月じゃネーじゃんとかいわない。
- 福岡県の自宅から出発
- 佐賀県をちょっと踏んで熊本県へ
- 熊本の球磨川下流付近を見学
- 鹿児島県の桜島を周回
- 宮崎県にて青島・鬼の洗濯板を見る
- 大分県のジョイフルでご飯を食べ帰宅
2018年5月3日
回れなかった長崎県に行ってきました。
- 福岡県の自宅から出発
- 佐賀県をちょっと踏んで
- 長崎県の長崎バイオパークへ
- 軍艦島を対岸から見て
- 平和公園と原爆資料館を見学
- 針尾送信所を外側から見て
- 佐賀県を踏んで帰宅
佐賀県と大分県は通過しただけですが。いつも行っているところなので今回はスルーです。一応大分県では地場のファミリーレストランでご飯を食べました。
熊本県が球磨川、しかも汽水域というマイナーな箇所です。なぜここなのかは後述しますね。(多分
その後近かった(160km)ので桜島に渡りました。そしてどうせ帰り道だったので鬼の洗濯板を見たいがために青島に寄ってきました。
そのあとは既に日が暮れていたので、大分県でご飯を食べてまっすぐ帰ってきました。
次にその行程で行っていなかった長崎県。そこにある長崎バイオパークへ行きました。
バイオパークのあとは、長崎に来たら一度は訪れておきたかった平和公園と長崎原爆資料館に行き、帰り道だったので針尾送信所にいきました。資料館を出るタイミングで既に見学時間を過ぎていたので、外観のみ見て帰りました。
というのがこのGWの行程です。基本的には行き当たりばったりですね。
28日が総移動距離776km、3日が463kmで合計1239kmの行程になります。
ところで、出発地の福岡県、通過した大分県と佐賀県については何もないのもアレなので、29日に行った、美術館の建物の写真と2017年3月に行ってお蔵入り(ツイッターには上げた)していた軍艦防波堤、玄海原子力発電所の玄海エネルギーパークの写真と、2016年11月に行ってお蔵入りにしていた、地獄巡りの写真をいくつか掲載しておきます。
写真
福岡県(軍艦防波堤 2017年3月 直方谷尾美術館 4月29日)
自宅ですが、自宅の写真を載せるわけにも行かないので、2017年3月に撮影した、軍艦防波堤(若松)から見える景色と柳、2018年4月29日に鋤田正義写真展を見に行った直方谷尾美術館の写真を載せておきます。
柳の船体。ちなみに涼月と冬月も同じ所にいますが、既に地面の下に埋没されているので見ることは出来ません。
軍艦防波堤から見える風景
直方谷尾美術館。流石に中は撮影禁止なので。
佐賀県(玄海エネルギーパーク 2017年3月)
玄海エネルギーパーク外観
観賞用温室と原子炉 手前の円柱が左から2号機・1号機(廃炉)。置くの丸いのが4号機・3号機。
温室の内部
熊本県(球磨川下流付近 球磨川河川敷グラウンド)
ここに来た理由は、艦これの嫁艦である「軽巡 多摩」のそのネームシップである軽巡 球磨の名前の由来であることから、一度多摩改二実装記念に一度行ってみようと思い、時間が出来たので行きました。本来はここをちょっと見て、阿蘇でも行って帰ろう可と思っていたのですが、まさかあんなことになるとは…(自分のせいやろ)
くまー!
せき。
ところでなぜ球磨川といえば上流が有名なのに、下流もしかも汽水域付近なのかって?それはね、ナビの設定を間違えたからさ。
くまー!
鹿児島県 (道の駅たるみず・有村溶岩展望所・黒神埋没鳥居)
桜島。
この写真を撮ったちょっと前にちょうど噴煙が上がっていて良い感じだったのですが。
火山灰のようです。結構滑りますね。
桜島の爆発時に噴石から身を守るための避難所。桜島の至る所にある。
観測所より眺める桜島(南岳 多分)
よくわからんが、火山灰が降ったあとにどうにかこうにかしたらこうなるみたいです。実際は数センチ程度ですが、アップにするとさながら別の惑星のようですね。
島。ここの手前の木が生い茂っているところも溶岩の冷えたものらしいのですが、こんな所でも植物は育つんですね。
反対側の海がなかなか見晴らしが良かったです。
でっかい岩
火山灰から生える植物。
溶岩?から生える植物
山頂付近のアップ
黒神埋没鳥居。ざっくり100年前の1914年の大噴火で、3mあった鳥居がここまで埋まったそうで。やはり自然の力は恐ろしいものだと思いました(小並感
宮崎県(青島)
以下の動画にある鬼の洗濯板を見にナウなヤングがハネムーンで訪れる宮崎県の青島に行ってみました。
というわけでもう日が暮れそうでほとんど誰も居ませんでした。
ところで、こういう所を見るには暦といいますか、潮の満ち引きに大きく影響します。
土産物屋街を抜けると広大な空と海が広がっていました。
ちょうど満潮時のようでした。
そうですね。沈んでます。
というわけで、無計画な旅ゆえに完全体の鬼の洗濯板は見ることが出来ませんでしたが、良い景色は見られました。そういえばこの先の神社でおみくじを引いたら凶でした。
なんか岩
なんかシャレオツな感じの岩
南国の植物が生えてるらしい森?
確かにここまで景色が良かったら新婚旅行で行きますよね。
この辺はちょっと洗濯板っぽさが見てとれます。今度は暦をみて完全な状態を見てみたいですね。
ちなみにこの洗濯板ですが、正確には波状岩といい『中新世後期(約700万年前位)に海中で出来た水成岩(固い砂岩と軟らかい泥岩が繰り返し積み重なった地層)が隆起し、長い間に波に洗われ、固い砂岩層だけが板のように積み重なって見えるようになりました。』と言うことらしいです。宮崎市観光協会のページに書いてありました。
おみくじを引いたら凶がでた青島神社
というわけで、4月28日の行程はここで終わり。
あとは途中の道の駅で休憩を挟みつつ、まっすぐ家まで帰りました。
大分県(2016年11月 鬼石坊主地獄)
大分県では夜のご飯を食べただけなのですが、せっかくなので、一昨年の末に出かけた地獄めぐりの写真を出しておきます。
鬼の高鼾
ようは間欠泉なんですがね。
沸騰した黒ごまプリンがありました(違
ジョイフルで食べたご飯(2018年4月28日)
長崎県(2018年5月3日 バイオパーク 軍艦島 平和公園 針尾送信所)
28日に回ることが出来なかった長崎県に5月3日に行って参りました。
本当はGW後半はお天気が崩れると聞いていたのでお出かけは前半に済ませたのですが、天気予報を見るとハレでしたので、長崎バイオパークへ出かけることにしました。
ところで、この時期に長崎に行きたくなる。ということで、この曲をお守りとして持って行きました。
まずは長崎バイオパークに出かけました。バイオパークは長崎県にある動物園で「見ているだけではつまらない!遊んで、学んで、ふれあって。」というのがコンセプトらしいです。
フラミンゴ
ベニコンゴウインコ
ヒワコンゴウインコ ヘイ提督ぅ!
プレイリードッグ
カピバラさんとアヒル
カピバラさん
フェ寝ックフェネック
フェネック!
ところでもう一人はどこに居たんですかね。
カピバラさん
アライさんにお任せなのだ!
レッサーパンダさん
キリンさん。ちなみにこれは300mmで撮りましたが、バイオパークは動物との距離が近いので200mmやそれ以下でも大丈夫です。
歯ブラシ
シマウマ
忍者……コモンリスザルですね。
40匹程度居るらしいのでレアじゃないみたいです。レアリスザル、SRリスザルとかSSRリスザルは居ないみたいです。
なんか猿
クジャク。羽を広げるのを5分くらい待ってたのですが、ファンサービスはしてくれませんでした。
クジャクは求愛のために春頃にこの美しい羽(写ってない)を生やし、求愛行動として羽を広げるのですが。メスが近くに居なかったから羽を広げなかったんでしょう。女児はいましたが種が違うのでときめかなかったのでしょうか。
いや、正確に言うと抱き合っているので、争っているわけじゃないです。
発者同 争
生同じ い
し士レ は
なでべ
いしル
!かの pic.twitter.com/JfXqeynb8C— 長崎バイオパーク公式 (@ngsbiopark) 2016年9月15日
本物はこれになります。(長崎バイオパークのツイッターより)
寝てました。
ワオキツネザル。なんかジブリの作画にありそうなポーズ
今回は時間の都合でPAWの方は行きませんでした。
というわけで長崎バイオパークの写真を終わります。
そして軍艦島を見に来ました。
あいにく上陸するツアーはツアー時間の関係で見送りましたが。(そもそも風が強かったので上陸は難しかった気がします)外から見るだけでも結構迫力があります。
軍艦島といえば、私が知る限りでは、林原めぐみほかへ楽曲を多く提供していたシンガーソングライターの岡崎律子さんが出身の島ですね。
夫婦岩から見える軍艦島
夫婦岩。
道中にいた猫
この青い建物の向こうに武蔵を建造したドックがあるらしいんですよね。
そして平和公園。長崎原爆の爆心地付近にある公園で、以下の画像の像が有名ですね。
昭和30年に彫刻家・北村西望氏の作で作られた10m弱の銅像。
右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る。ということになっているらしいです。
※説明は画像参照
平和の泉。原子爆弾は炸裂すると多くの放射能と熱線をまき散らすために、水を求めて亡くなられる人々がたくさん居たそうで、その犠牲者を弔うために昭和44年に作られたそう。同様の理由から、この周辺には水をテーマにしたモニュメントや造形物が多くある。
被爆当時の地層らしく、その当時のガラス片などのがれきがそのまま埋まっているらしいです。
途中で平らになる面白いエスカレーター
原子爆弾落下中心地碑
この場所で昭和20年8月9日午前11時2分という、なんとも中途半端な時刻に原子爆弾が落下・炸裂したということです。なぜこんな中途半端な時刻なのかというと、本来この原子爆弾は福岡県の小倉の陸軍工廠を目標にしていたのですが、天候や前日の空襲による焼夷弾の煙などによる視界不良によって、長崎へ変更され、その後本来の目標地点も雲がかかっていたため若干郊外の現地点に「レーダー使う?いやまて!あそこ晴れてるぞ!今やれ!」ということでこのタイミングで投下されたそう。(Wikipedia)
しかし、最近の証言では小倉を覆った煙は、八幡製鉄所の従業員が燃やした煙幕だったという証言もある。
毎日新聞の記事の写し:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13132421978
余談だが、今年生きていれば89歳の祖父(平成19年没)からは、当時小倉にいたということを度々聞かされていたので。そういう因果もあり、次長崎を訪れる場合は必ずここに寄ろうと決めていた。(2015年に86歳ならおそらくリンク先の方と同い年か同級であろう)
カステラ1番電話は2番とかそういう店。
長崎の原爆資料館
あまりこういう所でバシャバシャ写真を撮るのは気が引けますので写真はありません。
※ここからポエム開始※
ところで、原子爆弾を含めた核兵器についてであるが。個人的には核兵器は使用するべきではないし、使わせるべきでも無いと思っている。この国で二度も落とされ、悲惨な状況を引き起こしたのだから当然だろう。そもそも戦争自体をするべきではないが、そうはいっても人間も生き物だからあらゆる事で争うことはもはや避けようがない。そういう場合でも核兵器を使用を検討した時点で双方の被害状況を鑑み勝敗を決めるべきであろう。では核兵器をなくすためにはどうすれば良いだろう。
といっても国連の流れでもNPTとICANという、同じ目的に向かって全く逆回りで向かっている二つの流れがあるので、素人がちょっと考えたくらいで決められるものではないのだろう。核物質を集めて爆縮させ、核分裂を急速に連鎖させる技術がある以上。地球上のすべての核兵器を放棄しても、その技術を使って抜け駆けをした国や組織に使われたときに対抗する手段がない、ということを考えるとNPTのように、いくつかの大きな国が核兵器を持って、他国を牽制することで核拡散を防止し、最終的に核廃絶に持って行く動きも十分理解できるし、そもそもすべての国が核兵器を放棄して使用を違法としてしまえば核はなくせるというICANの理屈も理解できる。
ちなみに我が国としては、従来から支持をしているNPTを継続して支持をしているようである。もっとも、つい最近まで隣国の核の脅威があったもので、この状況で流石にICANに首を縦に振る事はできなかったということもある。とはいえアメリカとの関係もあるので、今後も大手を振って賛同はしないだろうが。
ということで、核兵器をなくすべきではあるが。その方法についてはなかなか正解がない。というのが個人の見解である。しかしながら、やはり現実的な取り組みとしてはNPTの方が現実的なのではないか。というのはある。
ところで、最近話題の核といえば原子力発電所の問題があるが。これは平和利用のための核であり、正しく運用すれば有用な電源であることから。個人的には賛成である。核兵器が恐ろしいから原子力発電所もなくすべきと言うのは違う。また、先の震災で起きた福島第一原子力発電所の事故やそれ以前のチェルノブイリ原発事故などの過酷事故も起きているが、一方は津波による災害が前提としてあり、双方とも安全設計の不備や、危機管理力のなさが主因の一つとしてあげられるものであるが。
それを考えると、正しく設計・運用された原子力発電所はある程度安全ということになる。福島第一原子力発電所の事故は当然重大事故であり、原発の評価に反映するべき事象ではあるのだが、女川原発や福島第二原発など、同じ目にあいながら、設計が良かったり、幸運が重なって原子炉を安全に停止できた原発がある以上、そちらも評価しなければならない。それらを総合的に判断すると、以上のような結論となる。
※ポエムここまで※
針尾送信所(旧佐世保無線電信所) 西海橋近くの公園駐車場より。
針尾送信所は例の「ニイタカヤマノボレ1208」を送信した電波塔として有名だと、言われているが実はそうではない。長門からの打電は中継したかもしれない。ということで有名である。
針尾送信所のパンフレットによれば1辺300メートルの正三角形、長波無線局であることから長波(ちょうは)帯の周波数である30~300kHzのうち、300mが概ね1kmの4分の1(250m)に相当するので、300KHz前後(1km波)の電波を扱っていたものと思われる。パンフレットの方にある白黒写真に、この塔の上に一辺が基部と同じ程度の三角形の構造体があるので、実際はこの三角形状の先端にアンテナがあったのだと考えると、概ね300kHzの通信を行っていたのではないかと推測できる。インターネット上に有力な資料がなかったので不明だが、もしかするとこの三角形から地上に空中戦を伸ばした傘型アンテナだったりするのだろうか。だとするとそれ以下の周波数という可能性もある。ちょうど中央の電信室の建設時の写真に小さな鉄塔のようなものも見えるし。(実際の所どうなっていたのかをご存じの方がいらっしゃいましたら教えて頂ければと思います。)
近くによるとかなり巨大な建物だと感じる。
油類の保管庫だった施設のよう。
最後に佐賀あたりの景色が良いところです。まぁこんな景色家から10分も進めばありますが。
おわりに
というわけで、ほとんど運転をしていた九州一周の記録でした。
今回のような1日でより多く回ろうとせずに、一つの県で1つの外側だけ見れば良いような観光施設を回っていけば、1日で九州一周も可能ですね。かなりタイトなスケジュールになるのですが。
半周半日もあればよいので、福岡から出て鹿児島あたりで一泊、その後反対向きに折り返しという計画なら十分回れますね。しかし、個人的に長崎は回るところも多いので長崎で1日使うべきだと思います。
心残りがあるとすれば、長崎の名所をほとんど回れてないところと、球磨川上流を見ていないところ。鬼の洗濯板が沈んでいたところ、針尾送信所なので、この辺を補完するドライブにちょいちょい行きたいところですね。
あとはドライブレコーダーの映像を景色の良いところだけちょいちょい保存してあるので準備が出来たらアップしますね。
それでは。
次回について:
いい加減貯まってるセンサーを片付けたいのと。そろそろ真空管アンプを作ってみたいという気がします。しかし、真空管は高電圧を使うので、自作では無くキットあたりを買ってみようかと思っています。